「ののはな通信」で感情がグチャグチャにされたので感想を書く

久しぶりのブログな気がします。いつぶりかな。一か月以上前から更新してなかったのか。でもたった一か月な気もするな。もうずいぶんと前から更新してなかったような気がする。

 

Twitter見てる人は分かると思いますが(というかこのブログを読んでる人のほとんどはTwitterから来てるはず)、相変わらずのんびり元気にやってます。なんだろうな、こんなにのんびりできる身分でもないんだけど、のんびりしちゃってます。まずいな。ちょっともうちょい頑張ってくれよ。やっと重い腰を上げていろいろ描ける気がしてきた今日この頃って感じです。

 

話は変わって、今日はののはな通信の感想を書いていきます。書くつもりは最初全くなかったんですけど、読み終わって、この気持ちをどう処理すればいいのか、どこに吐き出せばいいのか分からなくなって苦しくなってしまったので、心を整理してやるためにこうしてまとまりもなく文章にすることに。

 

「ののはな通信」

 

舟を編む」などで有名な三浦しをん先生の小説です。2018年ということで結構最近の本なんですね。あとで知ってびっくりしました。

 

基本的に私は図書館で借りて本を読むのですが、基本的にあらすじや設定などは調べずにタイトルと表紙、裏表紙でパッと読む本を選びます。あんまり最初からどんな話かとは知りたくないんですね。タイトルからどんな話なんだろうかとワクワクするのが好きなんです。事前情報があるとそれだけちょっと損をした気がしてしまいます。もちろん友人が「おすすめだよ!」と軽く紹介してくれることもあったりして、そういうのが嫌だというわけではないんですが。紹介してもらえなかったら一生知らなかった、読む気にならなかったということは往々にしてあることなので。うれしいんですけどね。ただ自分で気の向くままに本を探すときは、とにかく図書館の書架を舐めるように眺めてます。作者の名前を見ながら「あ~この作者、名前は知ってるけど読んだことないな」とか「なんだか不思議なタイトルだな、内容が想像もつかん」とかぼーっと考えながら、上から下に、右から左に、左から右に。書架の背表紙を指でなぞったり、たまに気になったら手に取って表紙を見たり。そうしていると本から伝わる感触に、目から入る落ち着いた色に、安らぎを覚えるのです。そして同時に、どこに繋がっているか分からない扉を開くように、胸が高鳴るのです。

 

さて、何の話でしたかね。あ。ののはな通信の話でした。三浦しをん先生の名前は舟を編むなんかで知ってはいたのですが、果たしてどんな物語を書くのかは全く知らなかったんですね。舟を編むに関してもドラマか映画かやってましたけどあれも見てないので。本当に全く知らないんです。そして「ののはな通信」というタイトルと、淡い緑色にかわいらしい柔らかな花々が互いと自然な距離を取るように配置された優しい表紙に惹かれて久しぶりに読書目的で本を借りました。最近はイラスト関連の参考書ばかり借りていたので、まともに読書をするために本を借りることがなかったのです。

 

 

さてここからは本の内容について触れていきます。私のように事前情報なしで読みたいという人は、以下を読み進めない方がいいですよ。

 

というわけで下へズーン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大丈夫ですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

書いちゃいますよぉ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では。

 

ののはな通信は、端的に言うと百合です。ある少女2人の文通といいますか。野々原茜、牧田はな。お互いを”のの”と”はな”と呼んでいるのですが、この2人が直接話すのではなく、はがきや手紙、メモ、メールといった様々な媒体を通してお話をする。という形式で書かれた小説です。つまり一般的な小説のように、その状況を単純に地の文や会話文で書くのではなくて、ひたすらに彼女たちの通信記録なのです。

 

ののとはなの通信記録

 

だから「ののはな通信」なのです。

 

物語りは、ののが4人目の家族について手紙をしたためたところから始まります。彼女には父と母と自分の3人しか家族がいないのですが、4人目の存在を感じる。それはもしかするとはなの存在かもしれない。もしかしたら、はな。あなたは私の家族なのかもしれない。と。

 

こう書くと、少し怖いと言いますか。なんだか不思議な独特な雰囲気です。別にこの物語はホラーとかオカルトとかそういうジャンルではないのですが、こんな感じで始まるので結構戸惑いました。

 

ここから、彼女たちの通信は数えきれないほど繰り返されていきます。

 

ちなみに彼女たちは、同じ女子高に通っていて友達です。文通だけの友達とかではないのですが、会えない時間も惜しいのでおしゃべりの代わりに手紙を出したりして二人の時間を少しでも共有しようとしているのです。

 

そんな彼女たちは学校の先生と生徒が交際をしているというゴシップに興味を惹かれ真相を暴こうとしていきます。

 

そんな中で、ののは自分の想いに気が付きます。はなのことが友達としてだけでなくそれ以上の関係になりたい、恋をしてしまったのだと。そしてはなも、ののの気持ちを受け入れ2人は恋人になります。この辺はまさに甘美というか、やはり百合はいいなあと関係性の変化を楽しんでいました。初めてキスをして、学校で友達のふりをしながら目を盗んで手をつないで、お互いに触れて舐めあって溶けていく。少女という存在の美しさを強烈に感じたのは久しぶりか、初めてかもしれない。まるでショーケースに飾られた小さなドレスのように、薄いガラスに閉じ込められた可憐な花のように。永遠の美しさを見たような気がして本当にドキドキしてしまった。でも薄氷のように簡単に砕けてしまいそうな儚さや危うさが見えてくる。そしてそれすらも綺麗なのです。改めて女性とは完璧な存在なのだなと一人唸っていたのですが、ある日を境に2人の関係には大きな亀裂、断裂というべきかもしれない。そんな溝がうまれてしまう。ここからの展開はただただ胸が苦しかった。この辺から手紙によってのみ書かれるこの作品の文章形式が活きてきます。

 

はながあるきっかけでののに裏切られたと怒りの手紙を送るのですが、ののがそれに対して返事を送ってもはなは返事をしてくれない。返事をしてもののの想いは届いてくれない。そんなもどかしさがののを苦しめます。

 

通信の本質はコミュニケーションではなく報告。自分の中で完結した感情のみでしたためられる。つまり、一方的なものなのです。これがこの物語の根本であるのだと思いますがそれは今は置いておきます。

 

2人の想いがせきららに綴られていく。お互いがお互いに一方的に感情を押し付けあい、傷つけながらも少しずつ歩み寄っていく。でも結局はなはののの裏切りに耐えられず別れを告げます。そしてこれまで残していたののからの手紙をすべて送り返して、関係を清算してしまうのでした。

 

どうしてこうもうまくいかないのだろうか。やるせない。心に深い傷を負ってしまいました。うう。

 

 

はい。

 

ここで一章が終わりです。この小説四章で構成されてるので、あと三章もあるんです。驚きましたね。なにせこんだけ物語が揺れに揺れて終わったと思ったらまだ4分の1しか進んでいなかった時の、左手に残された紙の厚さに衝撃ですよ。ええ! もうこんだけ”もらって”いるのにあと4分の3も残ってるってどういうことなの? こっから書くことあるの? みたいな。

 

あるんですね。ここから二章に突入するのですが、ちょっと端折って簡単に説明していきますと。

 

一章:高校生編

二章:大学生編

三章:大人編

四章:完結編

 

という感じ。読み終わって思いました。あれ? このしんどさ。重さ。既視感が…

 

 

 

 

 

ホワイトアルバム2やん!

 

 

 

 

 

 

いや話は全然違うんですけど。

 

想いの重さというか。うわああみたいな。うまく言えないんですけど読後感が非常に近い気がしました。本当に、全然話しは違うんですけどね。

 

章が移るごとに、お互いへの感情が変化していく。この軌跡がもう。綺麗とはとてもいえないほどゆがんでゆがんで、でも美しい。

 

2人ともそれぞれいろんな恋愛を経験していきます。心の動かない恋。ぬるま湯のように心地好い恋。相棒のようなパートナーとしての愛。分け与える愛(こんなにいろんな種類の恋愛があるのかと純粋に参考になります)。そんな中で恋愛に対する価値観が変化していくのですが、ただ一つ変わらない、衝動的なで、情熱的で、短絡的で、最も幸せだった記憶。焦がれて、からまって溶けたあの時間は、遺跡のように永遠で、蘇ることはない。それでも成長していった2人はその記憶を大切に扱うことができるようになり、ついにはお互いの存在そのものが永遠のものとなるのです。

 

こうして一方的であった感情は、長い年月をかけて摩耗し歪み、ゆっくりと交わっていき、ついに完全なる完結した愛となります。初めてはお互いの体を重ねることで想いを重ねようとし、その想いの大きさと少しのずれから決別へと追い込み、三章以降は直接会うことすらなくなってしまう、しかし最後には永遠に会うことはないとしてもお互いの想い、愛、魂、そんな抽象的で脆いはずのものが、お互いを永遠に離れることのない存在へと昇華していったのでした。

 

ああ、なんて美しい。

 

情熱的で独善的な初恋の行方を最後まで見ていったというわけです。最後にはののからの最後の手紙によって締めくくられています。最初はちょっと読みにくいなとも思ったのですが、確固たる意図をもって用いられた形式であったことを読後に理解しました。

 

読み終わった後はこの感情をどこへもっていけばいいのか分からずしばらくベッドで放心していました。こんなに苦しくなるなんて思わなかった。今書いているこの瞬間も苦しい。胸が詰まりそうです。でも、本当に面白かった。

 

ちなみに、読み終わってげろ吐きそうなほど精神的に疲弊していた時に見た「北米版ウマ娘 エキプロティーダービーvol.5 ワザヲカケル」で死ぬほど笑ってしまって心底悔しい。読後感をあらかたさらっていきやがって。許さん。

 

でもなんとかこうして文章を書いて感情を吐き出せたので少しスッキリしました。まだ胸の奥からジュクジュクと何かがしみだしている感じがしているので、消化はできていなのだろうと思うのですが、明日にはよくなっていることでしょう。

 

ここまで見ちゃった未読勢がもしいたら、読んでみてください。まじでおもしろいんで。

 

もう読んだよって人。

 

語り合いましょう。この感情を消化するには結局誰かと語らうか、新しい本を読むか、自分で作るかしかないんですよ。

 

 

 

 

描くか…。漫画。久しぶりに。