童心-雨-

音がする。もしやと思いドアを開ける。

 

やっぱり。

 

カンカン照り。影が濃く這うほどの光の中、叔父が木を切っていた。

 

木と言っても大木ではない。太さ4,5cmに育った植え木がずらっと右に並び、ドアまでの小路のような通路は暗い。わあっと右側から覆うように伸びた枝のせいだ。数年でそうとう成長したのだな。

 

叔父はぎこぎこと音を立てながら手軽な鋸を使って枝を切っている。

 

随分と頑張ってくれたらしい。地面には山のように積もった枝。緑が鬱陶しい。捨てるのも一苦労だ。捨てるところからは俺も作業に参加しよう。

 

「こんなもんか」

 

一通り剪定がすんだ叔父は石の階段に座り、額に巻いたタオルを緩めて顔を豪快に拭いた。

 

続きは15時だな。そう言って叔父は部屋に戻っていった。

 

さっきまで剪定作業をしていた暗がりは、光がいっぱいに注がれていた。ここはこんなに明るい場所だったのか。枝の隙間からも良く見える真っ青な空を見る。

 

夏だな、と思った。

 

 

 

15時。

 

なんだかうるさいので、外を見ると大雨が降っていた。土砂降りというやつだ。

 

「ちょうどいいな」

 

叔父が部屋から出てくる。何がちょうどいいんだろう。こんなに大雨なのに。このまま外にいるとびしょ濡れになってしまう。どうしようか。叔父の行動を見守る。どうか、作業を始めませんように。

 

まあ、そうだよな。

 

叔父は枝を集め始めた。

 

観念して俺も枝を集める。集めた枝は外の階段を上り、屋根から裏山に放り投げる。

 

雨が強くなった。

 

あっという間に服は張り付き、視界は白がかってしょぼしょぼする。屋根のトタンからも均等に雨が流れ落ちる。それで手を洗う。

 

洗う意味はない。でもなんとなく手を洗う。しかし細い線の水では、手についた細かい枝の髭や土汚れは落ちない。

 

下に目を落とすと、外階段に水がたまり、そこから滝のように次から次へと水が流れている。寄ってみるとナイアガラの滝のような壮大さを感じる。その中でばしゃばしゃと音を立てながら手を洗ってみる。なんだかおもしろい。

 

昔、水遊びができるダムで遊んだ時のことを思い出した。あのころは雨に濡れるのに嫌悪感はなかった気がする。

 

大人になると、雨に濡れるのを殊更避けるようになる。雨に濡れると面倒だと知るからだろう。

 

久しく”ずぶ濡れ”という状態になっていなかった。水に濡れるとどうしてこんなに楽しいのだろうか。ふと、道路を見ると傘をさしている人がいて、ずぶ濡れになれば楽しいのになと思った。

 

当然、用事で外に出るのにずぶ濡れではいけないのだが、だからこそずぶ濡れてもいい自分なんだかもっと楽しくなった。

 

枝を運び、水たまりで手を洗う。その往復を1時間ほど繰り返した。

 

最後の束を運び終わり、叔父と2人で階段に腰を下ろした。

 

トタンから、残りの雫がぽたっと垂れる。地面から立ち上がるようなむわっとした土のにおい。

 

雨はあがっていた。通り雨だったらしい。

 

疲れた。服もびしょびしょだ。

 

でも、確かにちょうどよかったかもしれない。たまにならね。

言葉と行事とジェームズ=ランゲ説

11/26(執筆日)はブラックフライデー。アマゾンなんかがセールをする日ですね。もともと、11月第4木曜日である感謝祭(収穫を祝うアメリカなんかの祝日。木、金、土日と連休になるのだそう。羨ましい)用のプレゼントやらなにやらを捌く目的で、小売店が大安売りをすることから「黒字の金曜日」となったそうです。

 

俺はお店を持っていないので大安売りはできません。せっかくのブラックフライデーなのに…。でも昨日は感謝祭。つまり感謝する日ってことです。感謝なら俺でもできる。

 

というわけで、母に「いつもありがとう」とLINEで送ってみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母「送る相手間違ってない?」

 

間違ってないです。母さん。僕はあなたに感謝しているのですから。

 

経緯を説明して、改めてありがとうと伝える。母もいまいちピンとこないながら、ありがとうと返してくれる。そんなやり取りだけで、うれしくなって体がぽかぽかと温かくなる。これはきっと心が温かくなったからなんだな。

 

何をしたわけでもないけれど、お互いの存在そのものに感謝しあえる。自分にとってそんな人がいることが、どれだけ大切なことなのか。改めて実感した気がして、幸せってこういうことだよな…って。

 

──悲しいから泣くのでなく、泣くから悲しくなる──

 

ジェームズ=ランゲ説という、もうずいぶんと有名な話。なるほどなって思いました。確かに俺は普段から母に対して感謝している。これは間違いない。でもそれを言葉にして伝えてみる。そうしてやっと「ああ、俺は本当に母に対して感謝の気持ちを抱いていたんだ」そういう思いがふつふつと湧き上がってくる。

 

普段、こんな赤裸々な言葉はまず伝えませんよね。

 

 

「思っていても、言わない」

 

「伝えたいけど、恥ずかしい」

 

「黙っていても、伝わっているはず」

 

 

そう思って言葉は口から零れ出ることなく、逆流して心の中に戻っていく。そういうものです。きっと。赤裸々な言葉を伝えるのは、思っている以上にハードルが高い。勇気がいる。あと一歩が踏み出せない。何かきっかけがありさえすれば、言えるはずなのに……。

 

そんなときに背中を押してくれるきっかけの一つとなるのが、なんですね。

 

例えば、元旦なら「一年の計は元旦にあり」なんて言って、土台無理な素晴らしいスケジュールを組ませてくれる。バレンタインデーには心の奥に隠している大事な気持ちを、チョコレートに溶かして渡せる。

 

こどもの日、敬老の日文化の日、クリスマス…。

 

そんなちょっと特別な日も、何気なくスルーしてしまう今日この頃。

 

「ああ、そんな日だっけな。私には関係ないけど…」

 

別に、特別なことはしなくてもいいのかもしれません。それでも、せっかくだったらその行事にちなんだ言葉を誰かに伝えてみる。特別な日なんだし。

 

言葉にして改めて気づかされる、知っている、理解している、感じているつもりの感情。普段は伝えないからこそ、行事を上手く言い訳にして、伝えられなかった思いを言葉にしてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

読んでくれて、どうもありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──感謝祭はとっくに過ぎてるけども…まあ、いいか。

気まま日記1

6:00。

早く起きられて気分もいいので20分早く出勤。

朝焼けが綺麗だった。

俺は図書館のアルバイトをしている。

穏やかなカウンターで一人、PCをカチカチと叩きながら、朝の館内を眺める。

それぞれがそれぞれの想いに耽り、別の方向を見つめながらも、同じ場所を共有するこの空間が好きだ。

だからこのバイトも好きなのだ。

1時間のバイト終わり、帰り道。

車窓から見かけた、駆け足のサラリーマン。

その軽快な足取りに、なぜか楽しい気分。

 

俺は最近よくラジオを聴く。

安住紳一郎の日曜天国

心躍るジングルを朝いちばんに聴くと、頑張ろうという気分になってくる。

アメリカ50州覚え歌

安住はクリを拾い、滝川はクリステル

立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿はユリゲラー

今週は京都女子大学教授である中田兼介氏による蜘蛛の話。

蜘蛛は鋏角類でダニやサソリの仲間。

蜘蛛は勤勉で毎日巣を張り替える。乾燥したりしてしまうため、毎日新鮮な巣を作る。

蜘蛛は空を飛ぶ。糸を一本天高く飛ばし、風に乗って当てのない空の旅。火山島のような新しい島に最初に到達するのは蜘蛛だったり。

蜘蛛の雄は生殖行動の後にメスに食べられる。自ら食べられに行く蜘蛛もいる。

俺は大きい蜘蛛が嫌いなので、小さい蜘蛛のことを考えた。

 

良い朝だった。

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ミャンマーでクソ古い鉄道に乗ったら円環の理から外れた話

どうもどうも。どうもです。

 

 これ、俺がどうもくんみたいな挨拶だな。久しぶりに書くブログちゃんに興奮してますね完全に。

 

うっひょ~! どうもくんって今も現役なのかな? 

 

あれ、どーもくんだっけ。

 

 いつぶりかのブログを更新してみようかな。ということです。まじでいつぶりだろう。いやあ、ほんと文章書くのヘタクソの助だなって毎回思うんですけどね、やっぱ楽しいんすよねキーボードかたかた文章書くの。

 

 そもそもブログ始めたのがいつなのか覚えてないんだけど、始めたての頃はなんか色々「なにかブログに書く面白いことないかな?」とか考えて過ごしてましたね。そんなに考えてなかったけど。

 で、ちょくちょく海外に遊びに行っては面白いことが山ほどあって帰ってくるんで、よっしゃ良いネタできたぜ!つって何も書かないで終わるっていう。

 

 多分ミャンマーに行ったのは4回目の海外旅行だったはず。確か一回目が台湾で、2回目シンガポール、3回目タイで4回目ミャンマーかな?多分そう。俺の記憶が失われてなければ。最近ほんとに記憶が怪しいんだよな。ばあちゃんも認知少しずつ入ってきてるっぽくて、ああ俺もやばいかもしれないと怖がってはないですけど。ほんと記憶力がくそほど悪い。まじで1カ月前とかあまりに記憶力が悪すぎて日常生活に多大な迷惑(自損)を被ってました。で、最近友達と懐かしい旅行とかの話をする機会があって、今日もふとミャンマーでの出来事を思い出して、

 

「そういえばブログに書いてなかったわ」

 

 ということで、今日はミャンマーで迷子になった話を簡単に書こうと思います。まじで今ひたすらに思い出したこととかを全部文字に吐き出してるんで、まとまりも何もないひどい文章になってるんですけど。なってます? すんませんね。許してクレメンス!

 

 俺が高専の3年か4年の時だったんですけど、どっちだったかな。確かタイに行ったのが3年の夏休みで、多分次の夏休みかなんか(GWでした!)にいったんじゃないかな。どうだっけ。まあ4年の時ってことにしようか。俺が4年の頃に、親戚のおじさんから「海外行かない?」みたいなお誘いがあって、おじさんはよく俺をいろんな場所につれてってくれるんですね。ありがたいですね。俺には第2第3の父親みたいな人が親戚にたくさんいるんですよ。別に母が死ぬほど浮気してるとかじゃなくて、父親みたいに俺に構ってくれる人がたくさんいるんです。

 ずっとおじさんて呼ぶのもあれなんで、西さんってことにしましょうか。西さんはすんごいアクティブというか、旅行とかアウトドアみたいなのが好きなんですね。そんで西さんの息子さんと3人でよくいろんなところに行ってたんです。シンガポールに行ったのも西さんと一緒で。とにかくことあるごとに俺を連れ出してくれるわけです。俺も「いいっすね!行くっす!」とか、あさひみたいな返事して海外に行くことが決まりまして。

 オーストラリアとかどうかな?マレーシアとかもいいよね!みたいな話をやりあった結果、なぜかミャンマーに行くことになったわけです。なんでミャンマーに決まったのかはさっぱり思い出せないんですけど、多分「去年タイ行ったんすよ」ってところから派生して近いミャンマーで、ってことになったのかな。まじで覚えてねえな。すんません、俺の記憶力が鶏レベルなんで、3歩進めば「おれなにするつもりだったっけ(アホ)」みたいになるんで。記憶ないところか薄いところはばんばん嘘つきます。いや、嘘ではないけど。話半分というか三分くらいで読んでください。頼むよ。

 

 そんな感じでミャンマーに行くってことで、地球の歩き方を西さんに買ってもらい、旅行の計画を立ててもらい、ホテルとかの予約をしてもらい……まじで俺なんもしてねえ。すんません。西さんまじでなんでもやってくれるから、「はい、ついていきまーす! うぃっすうぃっす!」みたいな軽いノリで海外行けるんでまじでありがたいんすよね。感謝。陳謝。発射。ミーシャ。

 

 で、まあミャンマーに出発! していろいろありましたね、ほんと。1週間くらいかな。滞在してたのはそのくらいだったかと思うんですけど、まじで濃すぎてはちみー蜂蜜マシマシかな? くらい濃厚な時間でした。いや、めちゃくちゃ思い出してきたな。やっぱこうやって書いたり誰かと話したりしてると、奥の方の記憶がめちゃくちゃ引き出されてきていいっすよね。網漁みたいな。記憶大漁でーす! つって網手繰り寄せてる気分。芋ほりならぬ記憶掘りで、一つ掘ったらどんどん記憶出てきてびっくり! みたいなね。

 

 ほんといろいろあったな。都市間の移動は深夜バスだったり、料理がことごとく油ぎっとりのチャーハンとか焼きそばみたいなやつでめちゃくちゃ美味かったり、まじで猿の惑星か?ってくらい猿がいるラピュタみたいな寺に裸足で登ったり、バガンていう寺ばっかの都市に裏道みたいな感じで現地の人が入れてくれたおかげで、正規のルートで払うべきお金を払ってないのばれそうになって焦ったり、でっかい寺で迷子になったり、チキンなんとかみたいな白いふわふわの虫がいたり、草を裂いてシャボン玉にしたり、原付で街を走り回って迷子になったり、現地の人の案内でカヌーに乗って水上都市みたいなとこを回ってぼったくられそうになったり、ぼったくられたり……。

 

 いろいろあったなあ。まじで思い出したらいろいろありすぎて全部一つの記事にまとめるのとか不可能だわ。

 

 てなわけで、何回かに分けてミャンマー旅行での出来事を描いていこうと思います。今回は第一の都市ヤンゴンで迷子になった話を、一つ。

 

 そもそものミャンマー旅行記としては、この地図の通りに4つの都市をまわりました。ミャンマーの首都はネピドーって街なんですけど、なぜかそこには行かず、でかい空港があるヤンゴンから入って寺が死ぬほどある古都バガンミャンマーで特に大きな湖で、水上都市のようになっていたりするインレー湖、少し小さめながら結構近代的(だったと思う)な都市マンダレーをまわるというミャンマーの肛門から突っ込んで下半分をべりべりべりっと貫通しながら胃のあたりを突き破って出ていった感じのまわり方でした。

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ミャンマー旅行の足跡(ヤンゴンバガン→インレー湖→マンダレー
移動距離:1000㎞以上(主に深夜バス)

 ミャンマーは敬虔な仏教徒の国で、ほぼ全員仏教徒。どこ行っても寺、寺、寺。しかも日本と違ってほぼ全員寺に通ってるレベル。タイとも似た感じはありますが、ミャンマーの方がより寺に通っているイメージです。勝手なイメージですが。そんな心優しき仏教徒も、生活をするためにはお金が必要なんですね。結構ぼったくられます。子供も自分なりにお金を稼ごうと必死なのです。それが当たり前なんですね。

 ミャンマー旅行当時、絶賛反抗期を迎えていた西さんの息子さん=健君としましょう。健君は中2、3年くらい(うろ覚えすぎる)で、正直この旅行にはそこまで気乗りしてなかったんですね。いわゆるインドア派という感じで。とにかくゲームがしたいお年頃。まあ気持ちは分からんでもない。しかも海外旅行ということで、結構疲れてたんでしょうね。俺たちがヤンゴンの有名な鉄道に乗りに行こうと話しても、全然行こうとしない。まあ無理に連れていくこともないかということで、健君は部屋でゲーム、俺と西さんの二人で鉄道に向かうことになりました。

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ヤンゴン鉄道

 ヤンゴン鉄道は結構有名らしく、地球の歩き方にも載っている鉄道です。特にヤンゴン環状線と言ってヤンゴン・セントラルを出発して40近い駅をぐるっと一周するのが、風情があっておすすめとのこと。大体3時間くらいで一周できるらしいので、これはいくしかないだろう!ということになり、勇み足で鉄道に向かったわけです。

 

 しばらく歩くと見えてきたのは古く汚れた感じの駅。屋根のついた道を進むと、左手に駅のホームに降りる階段が見えてきます。そこを降りると正面に切符売り場があり、そこで切符を買って鉄道に乗るわけでございます。さて、俺たちも切符を買おうと、売り場に行ってみると、子供たちが切符を売ってくれるようでたどたどしい(俺よりははるかに上手だが)英語で話しかけてきました。かわいらしい女の子が2,3人くらいで「鉄道の切符ならここで買うといいよ!」と元気よく話しかけてくれたので、環状線の切符が欲しいと伝えたところ「OK!OK!環状線ね!」と切符をくれました。何度か環状線であってるよね?と子供たちに念を押すと、「Yes!Yes!circle!circle!」とすごい勢いで切符を売ってくれました。

 

 俺と西さんはこの時若干の違和感というか、不安のようなものを肌でうっすら感じていたはずなのですが、まあ大丈夫だろう。彼女たちもcircle!circle!(環状線環状線!)と言っているのだからと、鉄道に乗り込みました。人間、何かがおかしいということを察知することができる、いわば第六感的なものがあるのかもしれませんね。この嫌な予感は後々当たっていたことを知るのです。

 

 さて鉄道に乗っても、子供たちはついてきて、「この水も買ってよ!」と通常の十倍以上の値段でぼったくろうとしてきました。子供たちも生きるために必死なのです。ごめんねと何度も断り、ようやく鉄道は出発します。鉄道の中はなんともアウェーというか。暮らしのそばに鉄道あり、という現地の人にはアットホームな、俺たち旅行者には仲のいいグループに知らない人間が一人入れられた時のいたたまれなさにどうにも座り心地の悪い気分でした。ただ、やっぱり現地の人たちが作る独特の雰囲気は、なかなか見られないもので楽しかったし、外の景色も小さな村があったり、畑があったりと街では見られないような風景があったのが印象的で、結果的にいい鉄道旅だったなと。すべて終わってみれば思えたのですが……。

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普通に果物とかなんか色々車内販売してる



 車内販売の食べ物をいくつか買い、そこそこ楽しんでいました。さて、昼前から鉄道に乗っていて15時頃にはヤンゴンに戻ってくる予定だった俺たち。すでに俺の腕時計は15時30分を指し示していました。もうヤンゴンに戻ってきていてもおかしくない時間。しかし、見慣れたヤンゴンの景色は一行に現れません。楽しみつつも、抑え込んでいた言いようのない小さな不安は、このあたりで少しずつ胸の奥からふつふつとあふれ出し、その違和感に気づかないふりをするのにも、限界がきていたわけです。

 

 

 

 

 

 ここで、ヤンゴン鉄道の路線図を見てほしい。ヤンゴン環状線というと、もちろんこの縦長の輪っか部分だ。そして俺たちは、見ないように、そんなわけはないと蓋をしていた可能性に、考えを巡らせざるを得ないくなってしまったわけです。

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ヤンゴン鉄道路線

 ヤンゴン環状線にはいくつかの分岐点があり、それぞれ別の都市にいく路線に切り替わるわけですね。もちろん鉄道が今どこの駅に向かっているかなんて分からないので、俺たちはまさか、環状線を外れるなんて想像もしないし、したくもないし、それを確かめるすべもまあないわけです。

 

 しかし、これはおかしい。いつになってもてんでヤンゴンという都会の空気が感じられないんです。あるのは緑に土にたまに水、そしてどこまでも遠く広がる途方もなく青い空だけ。俺と西さんは示し合わせたわけでもなく、お互いに危機感を共有し始めました。

 

「さすがにちょっとやばいかな」

 

「西さん……これ、多分……」

 

「……環状線、外れてるよね」

 

 俺たちは路線図を見ながら立ち尽くしました。西さんは保護者として、俺よりずっと焦っていたのでしょうか。少なくとも、俺は焦りまくってました。日も少しずつ傾き始めている時間に、俺たちはただひたすらに拠点を離れ続けている。海外という未知の土地でそれがどういう意味を持つのか。馬鹿でもわかります。

 

 

 

 

”帰れないかもしれない”

 

 

 

 

 焦りに焦り、もはや座ってはいられなくなった俺は、昇降口の手前で流れる景色を見ながら、決断します。「次の駅で降りましょう」西さんもそうするしかないと頷き、二人で昇降口を前にこれからどうするかを話し合いました。

 

 とりあえず次の駅でおり、ヤンゴンに帰る電車に乗って帰る。

 

 まあ、これが一番いいだろうということになり、次の駅を待ちました。もしかしたらこの電車は環状線に乗っていていずれは勝手にヤンゴンに着くかもしれない。その可能性はないわけではなかったのですが、こういう時には自分の勘という当てずっぽうに頼ってしまった方がうまくいったりするもので。

 

 次の駅に着くまでが、恐ろしく長いように感じられました。つまらない授業で、ふと目をやる時計の針が、壊れてしまったようにのろまなように。早く着いてくれ、どこでもいいから!心の中で何度も願っているうちに、ようやく駅に着きました。

 

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円環の理を外れ、まじでわけわからん場所で降りたら絶望的に何もない線路をずっと歩くはめになった俺と西さん

 なんだろうな。この時ばかりは、結構絶望した気がする。

 

絶望した!どこまでも続くまっすぐな線路に絶望した!

 

 どこかもさっぱり分からない土地に降りた時、自分の足がどうしようもなく頼りなく感じるのはなぜだろう。もう16時を過ぎている。日はいよいよ落ち始めて、空気に橙色が混ざり始めます。とにかくどうにかして帰らなければ。ひとまず切符が売っていそうな場所を探して歩きます。というかこの時点でおかしいんですけどね。

 

 なんで降りた場所に切符売り場がないんだよ。ここ駅じゃないの? 線路しかないんだけど。

 

 そうしてようやく村のような活気のある場所に出てきたわけですが、ここでまあ半分予想していた、信じたくなかった事実。もうここからヤンゴン行の電車は出ないという。

 

 おほお~!まじか~!やばいやばい!

 

 このあたりで、俺はなんか吹っ切れてきました。次の手はタクシー。というか、もうそれしか変える方法がない。西さんがGrabタクシーを探します。Grabといえば海外旅行に行く人は良く知っているだろう、世界的なタクシー会社です。ぼったくりが特に起こりやすいタクシーという移動手段。とりあえず安牌としてGrabを使っておく、という人も多いのではないでしょうか。俺たちの旅行も、おもにGrabタクシーを使っていました。Grabはアプリで近場のタクシーを呼ぶことができるのですが、西さんのアプリを見てまたも絶望します。

 

 

 近場のタクシーが0。ないのです。つまりこの名も知らぬ場所には、安心して利用できる移動手段が一つもなくなってしまったわけです。いよいよ詰んできました。まるで将棋だな……。さすがに西さんもこれには参ったようで、次の一手が出せません。ミャンマーさんの指す一手一手があまりに強力かつ、定石外れすぎてまじでどうすればいいか分からない。こうなると本当に「帰れないかもしれない」と呆然となってしまいます。

 

 大体の場面で「なんとかなる」と麻倉葉の精神で乗り切ってきた俺も、この時ばかりは、これはなんとかならないかもしれないな……と半分諦めモード。

 

 それでもなんとか周りの人にヤンゴンに帰る方法を聞いたりするのですが、唯一コミュニケーションの頼みの綱である英語が通じない。英語が使える人たちは大体都市にいて、田舎にいる人たちは全く英語が話せない

 

 考えればまあそうかもな、という事実は本当に効いた。方法がないとかそういうレベルではなく、そもそも言葉が通じないというのは、緊急事態に陥った俺たちをさらなる絶望に落とすには十分すぎた。

 

 それでも車の往来がそこそこにある中で、なんとかタクシー探すも、大体人が乗っているか、ヤンゴンには行かないということで。もう打つ手は考えられるだけ撃ち尽くして、残弾は残っていないことに気づく。

 

「ああ、本当にここで野宿するのかもしれないな」

 

 とあきらめていたその時でした。

 

 

 およそ1時間半の格闘を見ていた人たちが、諦めムードで立っていた俺たちのところにわらわらと集まってきました。何言ってんのか全然わかりませんが、とりあえず敵対心を持たれているわけではなさそうです。

 

 俺たちはコミュニケーションの究極奥義、ジェスチャーを使って、どうにかこうにかヤンゴンに帰る方法について説明しました。最後の希望の糸だけは絶対に切ってはいけない。

 

 根気強く説明を繰り返していると、何か相談を始めました。そして、初老のおじさんが言いました。

 

「f0q2@3hdqw」

 

 やっぱり何を言っているのかは分からないのですが、駐車してある車を指さしています。この時ばかりは、本当に「助かった……!」と心の底から思いました。おそらくタクシー運転手なのだろうおじさんに、GoogleMapでヤンゴンに連れて行ってほしいとお願いし、ホテルのカードに書いてある住所を見せると、分かったというように俺たちを後部座席にのせて、走り出しました。

 

 もうすでに夕暮れ。車内に流れる知らない歌は、昭和の歌謡曲のような優しく流れるようなメロディ。ようやく安心して景色を見る余裕ができました。いまだに馬が道路を走ってるんですよ。なんというか、ミャンマーの洗礼を受けた気がしました。

 

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馬さんです

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かわいいね

 ホテルに着き、おじさんに礼を言ってヤンゴンの街に立って、帰ってきたのだと、赤と紫が混じった空の下で実感しました。こんな壮大な迷子は今後二度としないだろうな、となんだか笑えてきて、やっとホテルに帰ったのでした。

 

 

嬉しい~!!!

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「SCOTT HOSTEL」

 

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1階がカフェのようになっている。2階から上が客室。
トイレ、シャワーが共用でカプセルホテルっぽい作り。

 

 

 

まあ、この旅行中にまた迷子になるんですけどね。

 

 

 

次はその話をしようかな。

 

それでは、また。さようなら。

ロマンとは歴史の残渣かもしれない

昔話だ。

 

私の祖父母の家の玄関。その上には雨受けするための狭い屋根のようなものがあった。

 

逆三角にせり出たそこは昔、私の秘密基地だった。

 

祖父母の家のすぐそばには、また別の家が建っていて、少し地面が高くなっていた。その家から祖父母の家の玄関を見下ろすことができるような位置だ。

 

そしてせり出している玄関の屋根は、その家から小学生の私がやっとこ登れる場所にあった。手をかけて足を登らせて体を横に這わせるように屋根に着く。

 

座ってみると小さい体でもあぐらをかくことすら難しいほどの幅で、私は屋根から足だけをぶらりと揺らした体勢でいることが多かったと思う。よくそこで友達とゲームをして遊んだ。

 

あの時代は初代DSからDSLiteへの転換期で、いろいろとカセットは持っていたが、その頃はまっていたケロロのゲームを、友達と交代で遊ぶのが日課だった。

 

 

 

 

ふと、そんなことを思い出した。久しぶりにその場所に来たからだ。あの頃はやっとこ登っていた玄関の屋根も、今では簡単に上がることができるだろう。

 

しかし、屋根に手をかけることはしない。もうそんな欲求は過去に置いてきてしまったようだ。

 

 

 

でも、あの頃には見えなかった景色が、そこにあるかもしれない

 

今度は手をかけてみようか。

 

置いてきたものは、意外と簡単に見つかるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんてクサイ文だ。ぷんぷん臭う。うーんクサイクサイ。

 

つまりだ、過去にあったのに今はもう無いものというのは、すごくロマンが溢れているなと思ったわけだ。過去は美化される。

 

学校の図書館というのは意外と面白い。なにせ、思いもよらないものが眠っている。

 

図書館には本当にいろいろな本が置いてある。参考書や小説、図鑑に雑誌、辞書。まだまだたくさん。まさに知識のダムといったところだ。しかし、普通よく見る表舞台から降りて、書庫なんかに足を運ぶと、表の書架とは異質な空気が漂っている。

 

書庫というだけあってまさに本の倉庫。古い本がたくさんしまわれている。彼らは現役を退いた兵士みたいに、穏やかな威圧感を背負っている。

 

約80年前、1917年に発行された気象学の本なんかすごい。もう書かれている文字から違う。旧字体がどうこうとかのレベルではない。漱石全集なんかもそうだが、日本語なのに読むのをためらわれるほど読みづらい。読むという行為の前に読み解くという作業が必要なのだ。

 

しかし、それもまた面白い。ざらざらとした深緑の表紙に触れていると、1917年という時代に指先だけ浸かっているような気持ちになる。これぞロマンだ。

 

まあ1917年というと、あまりに自分とはかけ離れていて想像しにくい。

 

そんな中見つけたのが、文芸部の部誌だった。

 

文芸部?

 

うちに文芸部なんかあっただろうか、記憶にない。あったら申し訳ない。ないと思う。いくら記憶を探っても見つからないので、多分ないのだ。

 

とってみると、コピー誌だ。手作り感がむしろいい。

 

開いてみると意外とちゃんとしている。目次の体裁から、意欲が伝わってくる。不思議だがなんとなくわかるのだ。なんというか、こういうものが作りたいという意欲。意志。そういうものは伝わる。ぱらぱらと捲ると、あっという間に最後のページに着いた。編集後記。

 

いいなと思った。部誌を作り上げたことの誇らしさとか感動とか、やっぱり伝わってくる。発行年が書いてあった。2005年。もう16年も前だ。人間の歴史としては16年は短い。だが、一学生からすれば16年ともなると、ずいぶんと古いものだと感じてしまう。

 

胸が躍る。ドキドキした。こんなものがあったのかと。私が幼い体を存分に使って遊び倒していた頃に、知らない誰かが文芸部として部誌を作っていたんだ。そして16年の時を経て、私がそれを手にする。名前以外のすべてを知らない人たちが、情熱を込めて作った小さな本。

 

これをロマンと言わずして何と言おうか。

 

それは計3冊あった。さらに副読本的な部誌が数冊。文芸部の活動は長くは続かなかったようだ。ちなみに一番新しいのは意外にも2016年のものだった。

 

しかしそれには、「文芸同好会」の文字。編集後記もなく、全ては移りいくという事実が形となって残されていた。

 

切ない。

 

私には見えた気がした。

 

机をくっつけて、みんなで書いた作品を回し読む。誰かが笑う。みんなが笑う。原稿の擦れる音。うーんと唸る。こつこつと鳴る靴の音。誰かが入ってくる。机を動かす。ガラガラ。

 

部長は誰だろう。みんなを引っ張る、才能溢れる作家はいたのだろうか。楽しかっただろうか。トラブルも、やはりたくさんあったのだろうか。時代を作っていくその景色を、その時間の中で見れたならどれだけ良かったか。

 

また、部誌をぱらぱらとめくった。もう文芸部だった人たちはこの学校から飛び立っていった。文芸部は、もうない。結局のところ、発足当時の意志なんか正しく引き継がれはしない。

 

だからこそ、正しい意志はその部誌の中に封をされて、長い年月息をひそめ続けていた。

 

他に誰か、これを見つけた人はいたのだろうか。見つけた人は気に留めただろうか。

 

形として残っている限り、そこに込められた思いは、いつか誰かが正しく受け取ってくれる。形に残っていなければ、いつかは誰も受け取れなくなる。

 

人の歴史も、多くは形に残ることなく、風化して元素に帰る。

 

そのはずだった歴史が何か形として残り、誰かがそれを正しく受け取る。もしかすると間違って受け取るかもしれないが。

 

そんな過去の残渣こそが、歴史のロマンなのかもしれない。

親友

 

 

「報告があります!恋人ができたの!」

 

放課後の河川敷。

 

まるで写真のような光景だった。

 

香奈の笑顔が夕暮れに光る。

 

長い髪が夕日を透かし、滑らかに光って揺れていた。

 

「美智には一番に伝えようと思ってね!へへっ」

「…はいはい、おめでとう」

「うわっ、相変わらず淡泊ね…。でもありがと」

「そんなら明日からその恋人さんと、仲良く帰りなさいよ」

「もしかして、私に恋人ができて嫉妬してるの?美智ってば、私のこと大好きなんだから~」

「親友のこれからの恋路に幸あらんことを」

手を組んで祈ってみせる。

 

「ちょっとは悔しがるかと思ったのにな」

「なんで私が悔しがらないといけないの」

 

親友の幸せなんだから喜んであげるべきでしょ?

 

「明日からは三人で帰るってのはどう?」

「私はあんたたちの後ろで、隣に恋人がいない虚しさに泣きながら帰るのね」

「嘘だって、冗談!」

「じゃあ、私こっちだから」

 

T字路の分かれ道、私は左側を指さす。いつもは二人で右に曲がる道だ。

 

「どっか行くの?私も一緒に…」

「これから親とご飯。学校終わったら合流しろって言われてるの」

「そっか…。じゃ、またね!」

「うん。ばいばい」

 

左を向いて、あてもなく歩き出す。

 

明日からは独りぼっちか。

 

雲一つない空は、紺と橙を曖昧に混ぜた淡い水彩画のようで、今日という日が終わりに近づいていることを告げる。

 

夕日が落ちて、夜になって、また朝が来る

 

でも、香奈と歩いた今日は二度と戻ってこない。

 

太陽が西から東に動き出したらいいのに。

 

 

 

 

香奈はいつも私の後をついてくる子だった。

 

いつでも、どこに行く時でも私たちは一緒だった。

 

またねって言っても私がいなくなるまで、泣きながらずっと手を振っていた。

 

永遠の別れかと思うほど大げさな香奈に、私は毎回笑って言う。

 

「ずっと一緒にいてあげるから」

 

 

 

 

 

「あれ、本気だったのにな」 

 

立ち止まって振り返る。

 

香奈がぱたぱたと向こう側へ走って消えていく。

 

その背中に手を振ってみた。

 

 

さようなら、香奈。

 

明日からは、本当に親友だ。

優しいコーヒー

 

 

最近、何をしてもうまくいかない。

 

院生になって始めた研究は、計画段階で教授に否定され続け、ようやく実験にこぎつけても、前準備で躓いたり、前提条件を間違えたり。

 

「研究なんてそんなもんだよ」

順調に研究を進める友人に言われた一言で心が折れそうになった。

 

研究室に戻り、冷めたコーヒーをすする。冷えた苦みがじんわりと体にしみていく。今やこの苦みだけが僕の味方でいてくれる。優しく僕を包んでくれる。

 

午前2時。

 

研究室にいるのは僕だけだ。

なんだか少し面白くなって動画サイトからよさげなジャズを流してみる。不気味で薄暗い研究室が、銀座のオシャレなバーになった。

 

僕はジャズに合わせて体を動かす。明日の進捗発表では、みんな僕よりも進んでいる内容を自慢げに話すのだろう。

 

それでもいいさ。僕だけがこの空間を楽しんでいる。

 

気分が高揚して、リズムを刻みながらコーヒーカップに手を伸ばした。

 

カツン。

 

爪にはじかれたコーヒーカップが、ゆっくりと倒れた。

 

僕が戻っていく。

 

黒が机の上に広がっていく。とめどなく。とめどなく。

 

あわてて布巾を取りに行く途中で下に転がっていたノートパソコンに足をぶつけた。鈍い痛み。爪の間がにじんだ赤黒い血で濡れていく。

 

ジャズが終わった。

 

机からはぽたぽたと垂れるコーヒー。

淡い水色の絨毯にすっかりしみができている。どうせ落ちない。

 

僕は家に帰った。