童心-雨-
音がする。もしやと思いドアを開ける。
やっぱり。
カンカン照り。影が濃く這うほどの光の中、叔父が木を切っていた。
木と言っても大木ではない。太さ4,5cmに育った植え木がずらっと右に並び、ドアまでの小路のような通路は暗い。わあっと右側から覆うように伸びた枝のせいだ。数年でそうとう成長したのだな。
叔父はぎこぎこと音を立てながら手軽な鋸を使って枝を切っている。
随分と頑張ってくれたらしい。地面には山のように積もった枝。緑が鬱陶しい。捨てるのも一苦労だ。捨てるところからは俺も作業に参加しよう。
「こんなもんか」
一通り剪定がすんだ叔父は石の階段に座り、額に巻いたタオルを緩めて顔を豪快に拭いた。
続きは15時だな。そう言って叔父は部屋に戻っていった。
さっきまで剪定作業をしていた暗がりは、光がいっぱいに注がれていた。ここはこんなに明るい場所だったのか。枝の隙間からも良く見える真っ青な空を見る。
夏だな、と思った。
15時。
なんだかうるさいので、外を見ると大雨が降っていた。土砂降りというやつだ。
「ちょうどいいな」
叔父が部屋から出てくる。何がちょうどいいんだろう。こんなに大雨なのに。このまま外にいるとびしょ濡れになってしまう。どうしようか。叔父の行動を見守る。どうか、作業を始めませんように。
まあ、そうだよな。
叔父は枝を集め始めた。
観念して俺も枝を集める。集めた枝は外の階段を上り、屋根から裏山に放り投げる。
雨が強くなった。
あっという間に服は張り付き、視界は白がかってしょぼしょぼする。屋根のトタンからも均等に雨が流れ落ちる。それで手を洗う。
洗う意味はない。でもなんとなく手を洗う。しかし細い線の水では、手についた細かい枝の髭や土汚れは落ちない。
下に目を落とすと、外階段に水がたまり、そこから滝のように次から次へと水が流れている。寄ってみるとナイアガラの滝のような壮大さを感じる。その中でばしゃばしゃと音を立てながら手を洗ってみる。なんだかおもしろい。
昔、水遊びができるダムで遊んだ時のことを思い出した。あのころは雨に濡れるのに嫌悪感はなかった気がする。
大人になると、雨に濡れるのを殊更避けるようになる。雨に濡れると面倒だと知るからだろう。
久しく”ずぶ濡れ”という状態になっていなかった。水に濡れるとどうしてこんなに楽しいのだろうか。ふと、道路を見ると傘をさしている人がいて、ずぶ濡れになれば楽しいのになと思った。
当然、用事で外に出るのにずぶ濡れではいけないのだが、だからこそずぶ濡れてもいい自分なんだかもっと楽しくなった。
枝を運び、水たまりで手を洗う。その往復を1時間ほど繰り返した。
最後の束を運び終わり、叔父と2人で階段に腰を下ろした。
トタンから、残りの雫がぽたっと垂れる。地面から立ち上がるようなむわっとした土のにおい。
雨はあがっていた。通り雨だったらしい。
疲れた。服もびしょびしょだ。
でも、確かにちょうどよかったかもしれない。たまにならね。