ミャンマーでクソ古い鉄道に乗ったら円環の理から外れた話
どうもどうも。どうもです。
これ、俺がどうもくんみたいな挨拶だな。久しぶりに書くブログちゃんに興奮してますね完全に。
うっひょ~! どうもくんって今も現役なのかな?
あれ、どーもくんだっけ。
いつぶりかのブログを更新してみようかな。ということです。まじでいつぶりだろう。いやあ、ほんと文章書くのヘタクソの助だなって毎回思うんですけどね、やっぱ楽しいんすよねキーボードかたかた文章書くの。
そもそもブログ始めたのがいつなのか覚えてないんだけど、始めたての頃はなんか色々「なにかブログに書く面白いことないかな?」とか考えて過ごしてましたね。そんなに考えてなかったけど。
で、ちょくちょく海外に遊びに行っては面白いことが山ほどあって帰ってくるんで、よっしゃ良いネタできたぜ!つって何も書かないで終わるっていう。
多分ミャンマーに行ったのは4回目の海外旅行だったはず。確か一回目が台湾で、2回目シンガポール、3回目タイで4回目ミャンマーかな?多分そう。俺の記憶が失われてなければ。最近ほんとに記憶が怪しいんだよな。ばあちゃんも認知少しずつ入ってきてるっぽくて、ああ俺もやばいかもしれないと怖がってはないですけど。ほんと記憶力がくそほど悪い。まじで1カ月前とかあまりに記憶力が悪すぎて日常生活に多大な迷惑(自損)を被ってました。で、最近友達と懐かしい旅行とかの話をする機会があって、今日もふとミャンマーでの出来事を思い出して、
「そういえばブログに書いてなかったわ」
ということで、今日はミャンマーで迷子になった話を簡単に書こうと思います。まじで今ひたすらに思い出したこととかを全部文字に吐き出してるんで、まとまりも何もないひどい文章になってるんですけど。なってます? すんませんね。許してクレメンス!
俺が高専の3年か4年の時だったんですけど、どっちだったかな。確かタイに行ったのが3年の夏休みで、多分次の夏休みかなんか(GWでした!)にいったんじゃないかな。どうだっけ。まあ4年の時ってことにしようか。俺が4年の頃に、親戚のおじさんから「海外行かない?」みたいなお誘いがあって、おじさんはよく俺をいろんな場所につれてってくれるんですね。ありがたいですね。俺には第2第3の父親みたいな人が親戚にたくさんいるんですよ。別に母が死ぬほど浮気してるとかじゃなくて、父親みたいに俺に構ってくれる人がたくさんいるんです。
ずっとおじさんて呼ぶのもあれなんで、西さんってことにしましょうか。西さんはすんごいアクティブというか、旅行とかアウトドアみたいなのが好きなんですね。そんで西さんの息子さんと3人でよくいろんなところに行ってたんです。シンガポールに行ったのも西さんと一緒で。とにかくことあるごとに俺を連れ出してくれるわけです。俺も「いいっすね!行くっす!」とか、あさひみたいな返事して海外に行くことが決まりまして。
オーストラリアとかどうかな?マレーシアとかもいいよね!みたいな話をやりあった結果、なぜかミャンマーに行くことになったわけです。なんでミャンマーに決まったのかはさっぱり思い出せないんですけど、多分「去年タイ行ったんすよ」ってところから派生して近いミャンマーで、ってことになったのかな。まじで覚えてねえな。すんません、俺の記憶力が鶏レベルなんで、3歩進めば「おれなにするつもりだったっけ(アホ)」みたいになるんで。記憶ないところか薄いところはばんばん嘘つきます。いや、嘘ではないけど。話半分というか三分くらいで読んでください。頼むよ。
そんな感じでミャンマーに行くってことで、地球の歩き方を西さんに買ってもらい、旅行の計画を立ててもらい、ホテルとかの予約をしてもらい……まじで俺なんもしてねえ。すんません。西さんまじでなんでもやってくれるから、「はい、ついていきまーす! うぃっすうぃっす!」みたいな軽いノリで海外行けるんでまじでありがたいんすよね。感謝。陳謝。発射。ミーシャ。
で、まあミャンマーに出発! していろいろありましたね、ほんと。1週間くらいかな。滞在してたのはそのくらいだったかと思うんですけど、まじで濃すぎてはちみー蜂蜜マシマシかな? くらい濃厚な時間でした。いや、めちゃくちゃ思い出してきたな。やっぱこうやって書いたり誰かと話したりしてると、奥の方の記憶がめちゃくちゃ引き出されてきていいっすよね。網漁みたいな。記憶大漁でーす! つって網手繰り寄せてる気分。芋ほりならぬ記憶掘りで、一つ掘ったらどんどん記憶出てきてびっくり! みたいなね。
ほんといろいろあったな。都市間の移動は深夜バスだったり、料理がことごとく油ぎっとりのチャーハンとか焼きそばみたいなやつでめちゃくちゃ美味かったり、まじで猿の惑星か?ってくらい猿がいるラピュタみたいな寺に裸足で登ったり、バガンていう寺ばっかの都市に裏道みたいな感じで現地の人が入れてくれたおかげで、正規のルートで払うべきお金を払ってないのばれそうになって焦ったり、でっかい寺で迷子になったり、チキンなんとかみたいな白いふわふわの虫がいたり、草を裂いてシャボン玉にしたり、原付で街を走り回って迷子になったり、現地の人の案内でカヌーに乗って水上都市みたいなとこを回ってぼったくられそうになったり、ぼったくられたり……。
いろいろあったなあ。まじで思い出したらいろいろありすぎて全部一つの記事にまとめるのとか不可能だわ。
てなわけで、何回かに分けてミャンマー旅行での出来事を描いていこうと思います。今回は第一の都市ヤンゴンで迷子になった話を、一つ。
そもそものミャンマー旅行記としては、この地図の通りに4つの都市をまわりました。ミャンマーの首都はネピドーって街なんですけど、なぜかそこには行かず、でかい空港があるヤンゴンから入って寺が死ぬほどある古都バガン、ミャンマーで特に大きな湖で、水上都市のようになっていたりするインレー湖、少し小さめながら結構近代的(だったと思う)な都市マンダレーをまわるというミャンマーの肛門から突っ込んで下半分をべりべりべりっと貫通しながら胃のあたりを突き破って出ていった感じのまわり方でした。
ミャンマーは敬虔な仏教徒の国で、ほぼ全員仏教徒。どこ行っても寺、寺、寺。しかも日本と違ってほぼ全員寺に通ってるレベル。タイとも似た感じはありますが、ミャンマーの方がより寺に通っているイメージです。勝手なイメージですが。そんな心優しき仏教徒も、生活をするためにはお金が必要なんですね。結構ぼったくられます。子供も自分なりにお金を稼ごうと必死なのです。それが当たり前なんですね。
ミャンマー旅行当時、絶賛反抗期を迎えていた西さんの息子さん=健君としましょう。健君は中2、3年くらい(うろ覚えすぎる)で、正直この旅行にはそこまで気乗りしてなかったんですね。いわゆるインドア派という感じで。とにかくゲームがしたいお年頃。まあ気持ちは分からんでもない。しかも海外旅行ということで、結構疲れてたんでしょうね。俺たちがヤンゴンの有名な鉄道に乗りに行こうと話しても、全然行こうとしない。まあ無理に連れていくこともないかということで、健君は部屋でゲーム、俺と西さんの二人で鉄道に向かうことになりました。
ヤンゴン鉄道は結構有名らしく、地球の歩き方にも載っている鉄道です。特にヤンゴン環状線と言ってヤンゴン・セントラルを出発して40近い駅をぐるっと一周するのが、風情があっておすすめとのこと。大体3時間くらいで一周できるらしいので、これはいくしかないだろう!ということになり、勇み足で鉄道に向かったわけです。
しばらく歩くと見えてきたのは古く汚れた感じの駅。屋根のついた道を進むと、左手に駅のホームに降りる階段が見えてきます。そこを降りると正面に切符売り場があり、そこで切符を買って鉄道に乗るわけでございます。さて、俺たちも切符を買おうと、売り場に行ってみると、子供たちが切符を売ってくれるようでたどたどしい(俺よりははるかに上手だが)英語で話しかけてきました。かわいらしい女の子が2,3人くらいで「鉄道の切符ならここで買うといいよ!」と元気よく話しかけてくれたので、環状線の切符が欲しいと伝えたところ「OK!OK!環状線ね!」と切符をくれました。何度か環状線であってるよね?と子供たちに念を押すと、「Yes!Yes!circle!circle!」とすごい勢いで切符を売ってくれました。
俺と西さんはこの時若干の違和感というか、不安のようなものを肌でうっすら感じていたはずなのですが、まあ大丈夫だろう。彼女たちもcircle!circle!(環状線!環状線!)と言っているのだからと、鉄道に乗り込みました。人間、何かがおかしいということを察知することができる、いわば第六感的なものがあるのかもしれませんね。この嫌な予感は後々当たっていたことを知るのです。
さて鉄道に乗っても、子供たちはついてきて、「この水も買ってよ!」と通常の十倍以上の値段でぼったくろうとしてきました。子供たちも生きるために必死なのです。ごめんねと何度も断り、ようやく鉄道は出発します。鉄道の中はなんともアウェーというか。暮らしのそばに鉄道あり、という現地の人にはアットホームな、俺たち旅行者には仲のいいグループに知らない人間が一人入れられた時のいたたまれなさにどうにも座り心地の悪い気分でした。ただ、やっぱり現地の人たちが作る独特の雰囲気は、なかなか見られないもので楽しかったし、外の景色も小さな村があったり、畑があったりと街では見られないような風景があったのが印象的で、結果的にいい鉄道旅だったなと。すべて終わってみれば思えたのですが……。
車内販売の食べ物をいくつか買い、そこそこ楽しんでいました。さて、昼前から鉄道に乗っていて15時頃にはヤンゴンに戻ってくる予定だった俺たち。すでに俺の腕時計は15時30分を指し示していました。もうヤンゴンに戻ってきていてもおかしくない時間。しかし、見慣れたヤンゴンの景色は一行に現れません。楽しみつつも、抑え込んでいた言いようのない小さな不安は、このあたりで少しずつ胸の奥からふつふつとあふれ出し、その違和感に気づかないふりをするのにも、限界がきていたわけです。
ここで、ヤンゴン鉄道の路線図を見てほしい。ヤンゴン環状線というと、もちろんこの縦長の輪っか部分だ。そして俺たちは、見ないように、そんなわけはないと蓋をしていた可能性に、考えを巡らせざるを得ないくなってしまったわけです。
ヤンゴン環状線にはいくつかの分岐点があり、それぞれ別の都市にいく路線に切り替わるわけですね。もちろん鉄道が今どこの駅に向かっているかなんて分からないので、俺たちはまさか、環状線を外れるなんて想像もしないし、したくもないし、それを確かめるすべもまあないわけです。
しかし、これはおかしい。いつになってもてんでヤンゴンという都会の空気が感じられないんです。あるのは緑に土にたまに水、そしてどこまでも遠く広がる途方もなく青い空だけ。俺と西さんは示し合わせたわけでもなく、お互いに危機感を共有し始めました。
「さすがにちょっとやばいかな」
「西さん……これ、多分……」
「……環状線、外れてるよね」
俺たちは路線図を見ながら立ち尽くしました。西さんは保護者として、俺よりずっと焦っていたのでしょうか。少なくとも、俺は焦りまくってました。日も少しずつ傾き始めている時間に、俺たちはただひたすらに拠点を離れ続けている。海外という未知の土地でそれがどういう意味を持つのか。馬鹿でもわかります。
”帰れないかもしれない”
焦りに焦り、もはや座ってはいられなくなった俺は、昇降口の手前で流れる景色を見ながら、決断します。「次の駅で降りましょう」西さんもそうするしかないと頷き、二人で昇降口を前にこれからどうするかを話し合いました。
とりあえず次の駅でおり、ヤンゴンに帰る電車に乗って帰る。
まあ、これが一番いいだろうということになり、次の駅を待ちました。もしかしたらこの電車は環状線に乗っていていずれは勝手にヤンゴンに着くかもしれない。その可能性はないわけではなかったのですが、こういう時には自分の勘という当てずっぽうに頼ってしまった方がうまくいったりするもので。
次の駅に着くまでが、恐ろしく長いように感じられました。つまらない授業で、ふと目をやる時計の針が、壊れてしまったようにのろまなように。早く着いてくれ、どこでもいいから!心の中で何度も願っているうちに、ようやく駅に着きました。
なんだろうな。この時ばかりは、結構絶望した気がする。
どこかもさっぱり分からない土地に降りた時、自分の足がどうしようもなく頼りなく感じるのはなぜだろう。もう16時を過ぎている。日はいよいよ落ち始めて、空気に橙色が混ざり始めます。とにかくどうにかして帰らなければ。ひとまず切符が売っていそうな場所を探して歩きます。というかこの時点でおかしいんですけどね。
なんで降りた場所に切符売り場がないんだよ。ここ駅じゃないの? 線路しかないんだけど。
そうしてようやく村のような活気のある場所に出てきたわけですが、ここでまあ半分予想していた、信じたくなかった事実。もうここからヤンゴン行の電車は出ないという。
おほお~!まじか~!やばいやばい!
このあたりで、俺はなんか吹っ切れてきました。次の手はタクシー。というか、もうそれしか変える方法がない。西さんがGrabタクシーを探します。Grabといえば海外旅行に行く人は良く知っているだろう、世界的なタクシー会社です。ぼったくりが特に起こりやすいタクシーという移動手段。とりあえず安牌としてGrabを使っておく、という人も多いのではないでしょうか。俺たちの旅行も、おもにGrabタクシーを使っていました。Grabはアプリで近場のタクシーを呼ぶことができるのですが、西さんのアプリを見てまたも絶望します。
近場のタクシーが0。ないのです。つまりこの名も知らぬ場所には、安心して利用できる移動手段が一つもなくなってしまったわけです。いよいよ詰んできました。まるで将棋だな……。さすがに西さんもこれには参ったようで、次の一手が出せません。ミャンマーさんの指す一手一手があまりに強力かつ、定石外れすぎてまじでどうすればいいか分からない。こうなると本当に「帰れないかもしれない」と呆然となってしまいます。
大体の場面で「なんとかなる」と麻倉葉の精神で乗り切ってきた俺も、この時ばかりは、これはなんとかならないかもしれないな……と半分諦めモード。
それでもなんとか周りの人にヤンゴンに帰る方法を聞いたりするのですが、唯一コミュニケーションの頼みの綱である英語が通じない。英語が使える人たちは大体都市にいて、田舎にいる人たちは全く英語が話せない。
考えればまあそうかもな、という事実は本当に効いた。方法がないとかそういうレベルではなく、そもそも言葉が通じないというのは、緊急事態に陥った俺たちをさらなる絶望に落とすには十分すぎた。
それでも車の往来がそこそこにある中で、なんとかタクシー探すも、大体人が乗っているか、ヤンゴンには行かないということで。もう打つ手は考えられるだけ撃ち尽くして、残弾は残っていないことに気づく。
「ああ、本当にここで野宿するのかもしれないな」
とあきらめていたその時でした。
およそ1時間半の格闘を見ていた人たちが、諦めムードで立っていた俺たちのところにわらわらと集まってきました。何言ってんのか全然わかりませんが、とりあえず敵対心を持たれているわけではなさそうです。
俺たちはコミュニケーションの究極奥義、ジェスチャーを使って、どうにかこうにかヤンゴンに帰る方法について説明しました。最後の希望の糸だけは絶対に切ってはいけない。
根気強く説明を繰り返していると、何か相談を始めました。そして、初老のおじさんが言いました。
「f0q2@3hdqw」
やっぱり何を言っているのかは分からないのですが、駐車してある車を指さしています。この時ばかりは、本当に「助かった……!」と心の底から思いました。おそらくタクシー運転手なのだろうおじさんに、GoogleMapでヤンゴンに連れて行ってほしいとお願いし、ホテルのカードに書いてある住所を見せると、分かったというように俺たちを後部座席にのせて、走り出しました。
もうすでに夕暮れ。車内に流れる知らない歌は、昭和の歌謡曲のような優しく流れるようなメロディ。ようやく安心して景色を見る余裕ができました。いまだに馬が道路を走ってるんですよ。なんというか、ミャンマーの洗礼を受けた気がしました。
ホテルに着き、おじさんに礼を言ってヤンゴンの街に立って、帰ってきたのだと、赤と紫が混じった空の下で実感しました。こんな壮大な迷子は今後二度としないだろうな、となんだか笑えてきて、やっとホテルに帰ったのでした。
嬉しい~!!!
まあ、この旅行中にまた迷子になるんですけどね。
次はその話をしようかな。
それでは、また。さようなら。