勉強など馬鹿らしくていい
「勉強って何のためにするんですか」
塾の先生になって数か月が経ちましたが、こんな疑問を投げかけてくれるほどに生徒と仲良くはなれていません。もっと仲良くなって先生として少しでも、彼らの疑問や不安を解決して上げられたらと思うばかりです。
さて、「勉強とは何のためにするのか」という難題を投げかけられたとしても、生徒に一つ新たな見解というのを示すことができるのが先生という立場なのではないでしょうか。少なくとも私はそうありたいと考えています。
では、勉強は何のためにするのでしょうか?
最近出た答えは単純明快で、「人生を楽しむため」
おそらくですが、「人生で苦しむため、つらい思いをするため」勉強をするという人はあまりいないのではないでしょうか?勉強をしていて苦しいとき、つらいときもあります。しかしそれでも勉強をするのは、やはり人生を楽しむためなのです。
将来への投資。未来の自分のために、いい職業に就くために、夢をかなえるために。
今苦しくても辛くても勉強する。
…という意味ではありません。
そういう目的で勉強をするのもいいですが、将来など気にしていない。夢なんて特にない。そんな人は勉強をする意味がないのかといえばそんなわけはない。
そもそも勉強すること自体が楽しいものであるはずなのです。
式変形が楽しいから数学をする。
植物がなぜ生きているのか知りたいので辞書や参考書を引いてみる。
読んで気持ちいい文章はなぜそう感じるのか知るために言語学を学ぶ。
こんな理由で勉強している人は周りから見れば尊敬と畏怖の対象でしょう。
それがおかしいのです。そもそも勉強というのはそういうものだったはずなのです。
知的好奇心を満たす。それが勉強の本質だったはず。
それがいつのまにか、将来のためとか、受験のためとか。目的がすり替わってしまったのではないかと思うのです。
まるで勉強をすることが未来への保証であるかのように。
そんな崇高なものであると勘違いするから、初学者の多くが身構えて、襟を正して挑もうとしてしまうのです。
勉強というのは、もっと泥臭くて、ばかばかしくて、楽しいものであるべきです。
公園で見つけた変わった石を「綺麗だ」と感じてポケットにしまって部屋の隅に飾って眺めて、触って転がして遊ぶような、そんなものであってほしいと私は思います。
私の生徒にはそんな風に勉強と向き合ってほしい。
やらなければならないとか、将来のためとか。そんな世間や周りからの偏愛をかなぐり捨てて、ただただ楽しくペンを動かしてほしい。自分の世界が広がっていくのを感じてほしい。
コップの中に水分子が見えたり、ふとした現象を数式にしたくなったり、旅行先で日本の歴史とその地域の歴史の差に圧倒されてみたり。知らない世界への扉が、どれだけ自分の周りに溢れているかをその肌で実感してほしい。
どうすればそんな風に思ってくれるだろうと考えながら、私もまた勉強する。